2015年 07月 16日
yomeさりげなく。 |

だそうです。
ずっと戦争し続けないと成り立たない仕組みになっていく。
原発も一緒。
一度始めたら、その甘い汁から脱せない人たちの中毒症状により、
社会システムは積み上げられ、脱したら困るよって形が作られていく。
困らない人もいるが、困るかもって思う人も現れる。
目に見える。
と思うんですけど。
自分もそういうところあるけど、
答えありきの人が多すぎて、
それでいて、話し下手で、議論下手で。
積み重ならないまま、力で押し出し。
少数無視の暴力は、そんじゃそこらの時間では、
社会的に改善されていかないよう。
子供も真似するよな〜。
逆に反発も多くなるのかな〜。
最終的には、みんなで学んで行くしかないのだよな。
どんな歴史からも。
■
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by lifeisatrip92
| 2015-07-16 08:01
| 独り言
|
Comments(3)

う~ん、「少数無視の暴力」は確かにそう感じる面もあるけど、そもそも議会制民主主義とはそういうもん、という言い方もできる。
ならどうするか。
議会制民主主義を批判や否定しても始まらん。自分らが少数派から多数派に成長出来るよう、努力するしかない。
中間層を取り込み、相手側の人間を1人でも多く寝返らせるにはどうするか・・・成功した運動は、全部それに随分腐心したと思う。
なのに昨今、というか60年安保闘争から今に至るまで、どれだけの運動が自分や正義感に酔い、仲間内だけで盛り上がり、言論の自由や意見の多様性と言いながら異論を排除しレッテル貼りし、平等を謳いながら権力にのめり込み、平和を標榜しながら他者を攻撃し、仲間を増やすどころか結果として多くの人を敵に回して自滅していったか。
「少数派なのは社会や権力のせいではなく、あんたら自身が招いてるんよ」と言いたくなる。主張は理解出来なくもないのに・・・残念。
先の法案も、維新以外はメリットを完全無視してデメリットだけを煽り「戦争法案」などとレッテル貼りし、廃案の一点張りで議論に応じないその結果、自民案の問題点に何の修正も入れられずに通してしまった。
あの議場で掲げてるプラカードを見て「議員のお前らはその前にやることあったやろが」と思ったのは自分だけではないやろう。
ところで「なんで顔合わせた時にこういう話せんの?」と思うやろうけど、恥ずかしながら自分は頭の回転が遅く、議論になると言いたいことを構成して句読点打ってから発言するまで時間かかるんでどうもペースに乗れんのよ。ご理解を。
ならどうするか。
議会制民主主義を批判や否定しても始まらん。自分らが少数派から多数派に成長出来るよう、努力するしかない。
中間層を取り込み、相手側の人間を1人でも多く寝返らせるにはどうするか・・・成功した運動は、全部それに随分腐心したと思う。
なのに昨今、というか60年安保闘争から今に至るまで、どれだけの運動が自分や正義感に酔い、仲間内だけで盛り上がり、言論の自由や意見の多様性と言いながら異論を排除しレッテル貼りし、平等を謳いながら権力にのめり込み、平和を標榜しながら他者を攻撃し、仲間を増やすどころか結果として多くの人を敵に回して自滅していったか。
「少数派なのは社会や権力のせいではなく、あんたら自身が招いてるんよ」と言いたくなる。主張は理解出来なくもないのに・・・残念。
先の法案も、維新以外はメリットを完全無視してデメリットだけを煽り「戦争法案」などとレッテル貼りし、廃案の一点張りで議論に応じないその結果、自民案の問題点に何の修正も入れられずに通してしまった。
あの議場で掲げてるプラカードを見て「議員のお前らはその前にやることあったやろが」と思ったのは自分だけではないやろう。
ところで「なんで顔合わせた時にこういう話せんの?」と思うやろうけど、恥ずかしながら自分は頭の回転が遅く、議論になると言いたいことを構成して句読点打ってから発言するまで時間かかるんでどうもペースに乗れんのよ。ご理解を。
議会制民主主義の捉え方も人それぞれですよね。
数の理論と今の自民党のように、
全く反対側の意見を聞くつもりがない、
聞くポーズくらいで、
実際に聞く気持ちは微塵も持ち合わせないというはどうかなって思いますよ。
いくら数で勝っていても、反対意見に耳を貸し、
反対意見を諭し、
時には反対意見が少数でも話し合い、
決めることは決める、覆す時は覆す。
そういう心持ちが無い事が残念というだけです。
効率、効率なんでしょうけどね。
いちいち構ってられないって態度が、ほんと無いなって思います。
野党も自己肯定が精一杯。
議会というのはなんのためにあるんだろうって気持ちになります。
実際市民も自分も含め似たようなのものなの
かもしれません。
自己肯定。
自分の意見を強く発する事が、
とても良い事という風潮ではないこの日本で、
それでも、自分の主張をする人たちは、
やはりとても意志の強い人たちが多いと思います。
そこへ協調や調整といったものを取り入れるには、
自分自身に対して正直過ぎる人が多いのではないでしょうか。
ちょっとした妥協もできないというか。
まだまだ、うーさんに見えるような世界は遠いようで、
今はとても混沌とした状況だと思いますが、
やがて、多くの人が何かに変化する時期なのだと思いますよ。
ネットという環境も含め。
時間なくて、まとまりない返答ですんません。
また追記するかも?
※顔合わせた時、なかなか僕も酒とか、話せるシチュエーションとかないと難しいですよ。
こうして、思案しながらのネットでのやり取りも、
一つのやり方として好きですよ。
数の理論と今の自民党のように、
全く反対側の意見を聞くつもりがない、
聞くポーズくらいで、
実際に聞く気持ちは微塵も持ち合わせないというはどうかなって思いますよ。
いくら数で勝っていても、反対意見に耳を貸し、
反対意見を諭し、
時には反対意見が少数でも話し合い、
決めることは決める、覆す時は覆す。
そういう心持ちが無い事が残念というだけです。
効率、効率なんでしょうけどね。
いちいち構ってられないって態度が、ほんと無いなって思います。
野党も自己肯定が精一杯。
議会というのはなんのためにあるんだろうって気持ちになります。
実際市民も自分も含め似たようなのものなの
かもしれません。
自己肯定。
自分の意見を強く発する事が、
とても良い事という風潮ではないこの日本で、
それでも、自分の主張をする人たちは、
やはりとても意志の強い人たちが多いと思います。
そこへ協調や調整といったものを取り入れるには、
自分自身に対して正直過ぎる人が多いのではないでしょうか。
ちょっとした妥協もできないというか。
まだまだ、うーさんに見えるような世界は遠いようで、
今はとても混沌とした状況だと思いますが、
やがて、多くの人が何かに変化する時期なのだと思いますよ。
ネットという環境も含め。
時間なくて、まとまりない返答ですんません。
また追記するかも?
※顔合わせた時、なかなか僕も酒とか、話せるシチュエーションとかないと難しいですよ。
こうして、思案しながらのネットでのやり取りも、
一つのやり方として好きですよ。
「自己肯定」は、
決して「他者排除」や「他者批判」ではないんですけどね。
そこも配慮の話しの気もしますが。
決して「他者排除」や「他者批判」ではないんですけどね。
そこも配慮の話しの気もしますが。